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gents story - NONAKA Hajime 野中 元

野中 元 NONAKA Hajime
写真家、百姓。

お仕事について

今年3月、自由学園でエディブル・スクールヤード(食べられる校庭:農業を学校の授業に取り入れる)を提唱するアメリカ人アリス・ウォータースさんの来日記念食事会で、野中元さんと隣り合わせになりました。そこで、写真家でありながら百姓でもあること、実は小学館から出版されている彼女の本やNHKの番組『アリスのおいしい革命』の写真は、すべて彼が撮影していたことを知りました。 実はプリスティン・ジェンツのインタビューへのご登場は随分前からオファーしていたそうですが、なかなか東京でのインタビューの予定が合わずペンディングになっていたとのこと。たまたま私の熊本行きが決まり、ではその時にホームグラウンドの南阿蘇でインタビューしましょうと話はトントン拍子に進みました。
野中元さんには、百姓と写真家、そしてもう一つの顔があります。あの料理家かるべけいこさんの旦那様なのです。熊本空港からおよそ30分、田んぼの真ん中にある古民家に到着。なんと我が社のプリスティン・ジェンツの麻混のサッカーシャツを着た野中さんが、ちょっと緊張した面持ちで出迎えてくれました。早速案内されたスモークハウスにはドラム缶が2個。20年以上毎月欠かさずハムやベーコンを作っているという野中さんに失敗しないスモークの仕方を教えてもらい、お隣の牛舎を改造したギャラリーで、彼の猫チャンの写真を見ながら、「何故百姓になったのか?」「何故写真家なのか?」――彼の人生50年のインタビューの始まりです。

生まれて来た、その意味を考える

20歳そこそこで、昼間の大学をドロップアウトして、本人曰く福岡の“中州”大学に編入(笑)。たまたまアルバイトを始めたお好み焼き店のオーナーであり、中州の歓楽街の飲食や風俗ビジネスを手広く経営する親分に出会います。毎日がスリリング、劇画のような太く短い夜の住人たちの人生を間近で感じる体験は若い野中さんには刺激的だった一方で、やがて自身が任されることになるお好み焼きチェーン店の売り上げと人材の確保に追われる日常の中で、「自分は何のために生まれて来たのか」――その意味を考えるようになります。
1993年は野中さんの人生の大きな節目の年となります。一つは、彼が任されていたお好み焼きチェーン店でアルバイトをしていた かるべけいこさんとの結婚。彼女とは19歳からのお付き合い、にこやかで、しっかりと構え安定している、自分とは真逆なそこに魅力を感じたそうな。

百姓になった理由

もう一つは、雑誌サライに掲載されていた福岡正信氏の記事との出会いでした。福岡正信氏は自然農法を生み出した教祖であり哲学者です。経営を任されていたお好み焼チェーン店により自然で安全な食材を使うことは出来ないかと考えていた矢先のこと、福岡さんの記事の普遍的な哲学に感動した野中さんは「これだ!彼の作った野菜を仕入れたい」と彼の著作を読みあさりました。その結果自分自身が自然農法そのものにはまってしまい、ミイラ取りがミイラになるが如く百姓になってしまった。
この1993年がいかほど重要な年であったか。野中さんが25歳の時で、今25年目の50歳。大地にしっかりと根ざして生きることを決意した野中さんと、それを支えるけいこさん。私には孫悟空と三蔵法師のようにも見えました。
とにかく人が大好きで、なんでも一生懸命の彼の真の力が発揮されれば、人を巻き込み渦ができる。野中さんは家族という一本の幹を育てていく中で写真家でもありプロデューサーとなっていきます。

お気に入り商品は?

    サッカーストライプ シャークカラー半袖シャツ
    コットンの白とリネンのグレーを生かしたストライプ柄のサッカー生地を使用し、涼しい半袖シャツ。
    背中には汗をたっぷり吸い取る大きめの背当てを付けました。
    シャークカラーがアクセントの、おうちの中でも外でも使えるデザインです。
    ポイントにgentsの「g」をひとつひとつハンドル刺繍しています。

PHOTO

プロフィール

野中 元 NONAKA Hajime
写真家、百姓。
外食産業勤務を経て、94年26歳で熊本県南阿蘇村に移住、無農薬田畑栽培25年目。竈に五右衛門風呂、ボットン便所にmacの暮らし。著書に妻の料理家かるべけいことの共著で『自然がくれた愛情ごはん』(アノニマスタジオ刊)『かるべけいこのやさしいおやつ』(クレヨンハウス刊)。NHK『アリスのおいしい革命』スチール関連書籍の撮影を担当。熊本地震で被災、その後の夫婦の暮らしが報道ステーション『南阿蘇の食卓』全4話として放映された。食とインテリア、暮らし回りの雑誌撮影を中心にしつつ、現在テレビ朝日『食ノ音色』の挿入写真や地域の学校ボランティアまで幅広く活動している。